阿修羅しか勝たん🖖

いつのまにか定着していた○○しか勝たん構文の元ネタはドルオタの「推ししか勝たん」らしいですね。


仏像研究会2回生の鱸(@hrk__0125_)です。興福寺阿修羅像推し、同担歓迎、まだ推し始めて3年とちょっとの新参です。後方仏面。

たぶんこのブログを読んでるくらい仏像研究会のことを知っている方は、「ああ、あの阿修羅ガールがまた阿修羅の話しようとしてんのね」って気持ちだと思います。はじめましての方ははじめまして、阿修羅ガールだなんて呼ばれております。いやはやお恥ずかしい。

今回は(次回があるのかわかりませんけど)、私と阿修羅の馴れ初めについて書きたいと思います。いろんな人に喋って擦りに擦りまくった話なので、知ってる方もいらっしゃるかもしれませんが。


事の発端は私が高校1年生の秋頃、不登校になったことでした。ハハハ、突然重た。いやいや、いじめだとかそういった大層な理由じゃありません。ただ人間関係と勉強が面倒になったってだけです。一日中自室にこもって、ネガティブなことを考え続けるか、寝るか、動画を見て現実逃避をするか、みたいな生活をしていました。鱸暗黒期。ちなみに早起きして朝散歩をするようにしたら多少気が紛れたのでオススメです。兎にも角にも私は非常に怠惰な生活を送っていました。

そんな私を見かねた母が差し出したのが「仏像なぞり描き」の本でした。正直「なんで???」と頭の中にはてなマークが浮かびました。母が仏像鑑賞が趣味なのは知っていましたが、当時の私は別に仏像にも仏教にもあまり興味はなく(展覧会などには度々連れていってもらっていたので少しの知識はありましたが)、「こんな写仏程度でどうこうなるもんかよ」とかなんとか思っていました。でも鱸ちゃんはとても根が真面目で、人の好意を無下にはできない女の子なので、まあ、1枚くらいはやってみるか、と。絵を描くこと自体は好きですしね。

ぺらぺら捲りながら写仏する仏像を選びます。「菩薩は装飾が細かくて嫌だなあ、でも如来は如来でシンブルすぎるしなあ、ちょっとは知ってる仏像がいいなあ……興福寺阿修羅像にするか、有名だしな。」

興福寺阿修羅像が仏像界随一の美少年であることは事前に知っていたので、それも込みで選んだ気がします。美少年は正義。

よく東寺の帝釈天も顔がいい仏像として挙げられますが、そちらはイケメン、興福寺阿修羅像は美少年という感じがありますよね、どちらも顔がいいのでどうでもいいですけど。

「阿修羅のどこが好きなの?」という質問に対して、私はよく「顔と腰のライン」と答えているのですが、それは阿修羅像をなぞり描きしていて一目惚れしたポイントです。顔はまあ、切れ長の目とすっと通った鼻筋、物憂げな表情、文句なしのいい男。腰は(腕もそうなんですが)、戦いの神であったという設定に疑問を覚えるくらいの細さと綺麗さに興味を持ちました、とってもえっちな腰ですよね!その頃は特に阿修羅について詳しくは知らなかったのですが、戦いの神であったことはなんとなく知っていました、どこかで知る機会があったんでしょうかね。

このなぞり描きをきっかけに私は阿修羅像にどハマりします。「いつか奈良の地に行って絶対にこの目で実物を見てやるぞ」と。

話は少し変わりますが、私が通っていた高校は県内ではそれなりの進学校でした。だから(かどうかは他の高校を知らないのでわかりませんが)、どこの大学に進学したいか、というのをかなり早い段階から考えることになります。高校一年生の秋というのは文型・理型を選ぶ時期というのもあって、そういう話がよくあがるようになりました。けれど現状私は勉強にやる気がないし、学びたいと思える学問も特にない、したいことといえばせいぜい「奈良に行きたい」くらい。こんな舐め腐った私に祖母がすすめたのが奈良女子大学でした。興福寺から徒歩15分くらいの立地です。敷地には鹿が優雅に闊歩しています。奈良に進学出来たら、いや、最悪受験さえしに行けたら阿修羅が見られる、という動機から私は奈良女子大学を目指して勉強を再開することになりました。

時は過ぎ高校2年夏、私は奈良にいました。奈良女子大学のオープンキャンパスです。その時に受けた模擬講義の内容は阿修羅像についてでした。私は俄然やる気になりました。

…………あれ?この時阿修羅像を見に行かなかったんですか?

実はこの時、国宝館は耐震工事中。別の御堂で前期・後期にわけて展示されていたのですが、なんとちょうど前期と後期の間の非公開のタイミングでした。悲しみで涙がちょちょぎれました。悔しかったので阿修羅グッズだけいっぱい買いました。阿修羅のふせん、再販しないかなあ、お願いですよ興福寺さん。

さらに数ヶ月後、私は修学旅行で再び奈良の土地を踏んでいました。日程の初日は奈良公園……と、いうよりかは東大寺。私は地団駄を踏みました。

「クソ!こんなところで鹿と戯れてる場合じゃない!10分も歩けば阿修羅に会えるのに!!なんで!私は!」

脱走しようかと思いました。でも良識のある鱸ちゃんはここで私が脱走したら班のメンバーに迷惑がかかると思い、自制しました。おそらくこれが初日ではなく最終日であったなら、迷わず抜け出して興福寺へ走っていただろうと思います。

次の日に”京都”での班の自由行動があったのですが、別のクラスにどうやらその時間に興福寺に行った班があったらしく、余計に悔しくなりました。そんなのありかよ。なんで先生教えてくれなかったの。

2回にわたる「奈良まで来たのに阿修羅像を見られない」経験がより私の「阿修羅に会いたい」という思いを強くしました。ここで阿修羅像を見ることが出来てしまっていたら、きっと今頃私は京都にいなかっただろう、とも思います。

ここからはまさに修羅の道でした。当然です。不登校期間の学習内容はさっぱり頭に入っておらず、学校に通いだしてからも度々保健室に駆け込み、まともに課題もやらず……散々な成績でした。さらに高校3年の夏休み明け、私は再び学校から足が遠のきます。今まで勉強を頑張ったことが無さすぎて、燃え尽きてしまったんですよね。

現実的に進路を考えた時、ほんとうにこのままで奈良女子大学にいけるのか……?できれば浪人はしたくないし……。

ここでやっと他に私立大学も視野に入れることになります。

それで模試の志望校判定のための大学コード表をぺらぺらめくって見つけたのが龍谷大学文学部歴史学科文化遺産学専攻でした。

なんとか阿修羅像に会うという目的を精神的支柱にやる気を出し、センター試験を受け、ギリギリ奈良女子大学に出願しても希望があるだろう、という点数を取りました。1年と数ヶ月ぶりに奈良にいく機会を得ます。

忘れもしない2019年2月25日、奈良女子大学の前期試験を終えて私は興福寺国宝館にいました。はやく阿修羅像を見たい気持ちをおさえて、じっくり見て回ります。焦らす配置ですよね、ほんとに。金剛力士像を見ていると、その角の向こうに影が見えるんですよ。

はじめて阿修羅像を見た時の感動を今でも覚えています。ただそこに阿修羅像があることに安心し、感嘆し、細部を見ている余裕なんかありませんでした。あ、私、勉強がんばってよかった。あとはもう、言葉にはできない感情が諸々。

とまあ、以上が馴れ初めです。この後、私は残念ながら奈良女子大学に落ちてしまったところを龍谷大学に拾ってもらい、京都に進学、月に一度阿修羅に会いに行ける環境を手にしました。会いに行くたびに新しい発見があって楽しいですし、見れば見るほど、知れば知るほど好きになります。これが恋ってやつか、きゅん。

人間誰しも、落ち込んだり、精神的に不安定だったりするときに、元気をもらう存在っていうのがあるはずです。好きな歌手や俳優だったり、小説やアニメだったり、いろいろ。私にとってはそれがたまたま阿修羅像だったというだけの話です。落ち込んだり、塞ぎ込んでしまったりしたときには興福寺へ行って、メンタルリセット。興福寺五重塔もすっかり見慣れました。鹿は慣れません。

もちろん、顔と腰(見た目)以外にも好きなポイントはありますが、それを語るのはまた機会をもらえたときにしようと思います。


1300年の時を経て、今なお私に元気をくれる阿修羅はまさしくアイドル。八部衆のセンターとして推しがいもあります。スキャンダルもないし。この先も一生「阿修羅しか勝たん😤」。


仏像研究会  鱸
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龍谷大学仏像研究会(ぶっけんブログ)

龍谷大学学友会宗教局仏像研究会は昭和40年に同好会として発足した団体です。宗教局の1サークルとして龍谷大学の建学の精神を学内・学外の皆様にも広めるべく、日々活動しています。 月に1回の仏寺見学や年2回発行する機関誌「るる仏」の発行が主な活動です。